2019年4月某日、「はじめての浜降祭 ~祭で地域とつながる、を考える会~」というイベントが開催されました。このイベントの主催者は、鶴嶺神輿愛好会の副代表でもある石田秀樹さん。
石田さんは、お住まいの鶴嶺地域で家庭菜園など様々な活動を通じて、地域の方と繋がりができたことで鶴嶺八幡宮の神輿愛好会に参画。そのご自身の経験を元に、浜降祭の歴史や背景を学びながら、地域との関わり方を参加者と一緒に考える「学びと繋がり」というテーマでイベントを企画されました。
このイベントに集まったのは、茅ヶ崎に移住してきたけど、浜降祭を観るだけでなく一度は神輿を担いでみたい!という人、もっと浜降祭の楽しみ方を知りたい!という人、「どっこい、どっこい」という掛け声が響き渡るだけでうずうずしていた人など、多様な方が集まりました。
イベント終了後には、神輿を担ぐ練習から始めてみよう!ということになり、参加者のうちの一人の四條邦夫さんが手を上げ、「はじめての浜降祭プロジェクト」が本格的に発足しました。
このプロジェクトのテーマは「学びと繋がり」です。とイベント主催の石田さん。
まず「学び」からイベントは始まりました。
信仰と祭りと音楽
祭りの語源は・・・「奉る(まつる)」という言葉からきています。神の加護を得ること、神のお告げを聞いて世の中を治めることが祭りの目的。祭りは神の存在があって初めて成り立つものです。
「祭」の字を分解して見ると、左上は「肉」を表していて、右上は手を表しています。そして下部は祭壇を表します。つまりは、手に肉を持って祭壇にお供えをすることを意味しています。そのため、祭りには神がいないと成り立たないといわれています。
人は神にいろんなモノを捧げてきたが、モノ以外のモノも奉げてきた。それが音楽と踊りだった。
人類が生み出した自己表現で、畏敬を表現する手段だった。この形のあるお供え物と、形のないものを音楽として捧げて、合わせて「祭り」となった。そのため、信仰と祭りと音楽は結びついていると考えられています。
映画「茅ヶ崎物語」の中のインタビューで加山雄三さんも次のように語っています。
「人間が音楽をはじめたのは、祈りから始まった。神に対する感謝の気持ちとか、収穫に対する感謝とか、祈りというものがメロディーを生んだと、そう思っている。」
「茅ヶ崎は音楽の波動がよくなる。海の「波の音」ってひとつの波長であって、光も波で、人間の身体のすべての粒子も、波の性質を持っているんだよね。その波の波動をリズムとして日頃から聞いていて、身体で感じているから、それがメロディーやリズムになる。茅ヶ崎にはそういう環境があるのかなと思っている。」
祭りの音楽は、その土地や人が持つ記憶からメロディーやリズムを育む。浜降祭においても茅ヶ崎甚句や掛け声など独特なメロディーやリズムが生み出され、やがて茅ヶ崎のソウルビートと呼ばれるようになりました。
神と神輿
神輿(みこし)とは、神の御霊(みたま)が宿っている御輿(みこし)のこと。「御霊移しの儀」を行い、御霊が宿っている御神体を御輿に乗せるとはじめて「神輿」となります。そのため、神輿は神社にいる神様を分けてもらって乗せるということで分霊箱とも言われています。逆に「御輿」は、御霊が宿っていないみこしで、子供御輿や万灯御輿など練習用に使われるものもあります。
その神輿が町を練り歩くことを渡御(とぎょ)といって、神輿が氏子のいる地域を練り歩くことで氏子の安寧を祈念する、ということが神輿の渡御の目的でもあります。
浜降祭に参加する神社
茅ヶ崎と寒川の各地区ごと、全34社の神社から神輿がでます。
1. 鶴嶺八幡社
鶴嶺八幡宮(浜之郷)
日吉神社(西久保)
本社宮(矢畑)
神明大神(円蔵)
2. 寒川地区
寒川神社(宮山)
菅谷神社(岡田)
倉見神社(倉見)
八幡大神(一之宮)
八坂神社(堤)
腰掛神社(芹沢)
3. 鶴嶺地区
日枝神社(中島)
八幡宮(柳島)
松尾大神(今宿)
三島大神(萩園)
4. 茅ヶ崎地区
第六天神社(十間坂)
神明宮(十間坂)
巖島神社(新町)
八坂神社(本村)
八大龍王神(中海岸)
中海岸神社(中海岸)
5. 松林・小出地区
諏訪神社(香川)
熊野神社(高田)
神明大神(下赤羽根)
八雲大神(上赤羽根)
諏訪神社(下寺尾)
八王子神社(室田)
八王子神社(菱沼)
熊野神社(小和田)
八幡大神(甘沼)
6. 南湖地区
八雲神社(南湖中町)
金刀比羅神社(南湖上町)
住吉神社(南湖下町)
茶屋町大神宮(茶屋町)
御霊神社(鳥井戸)
お気づきかも知れませんが、実は海岸地区・浜須賀地区・松浪地区には神社がありません。
それはなぜかというと、縄文時代の茅ヶ崎の地形をみると現在の茅ヶ崎駅の前までが海だった。弥生時代になると陸地は増えたが、南東部はもともと海だったため湿地や沼地になっていた。湿地や沼地
稲作ができないことで農耕を通じたコミュニティができなかったため、神社ができなかった理由ともいわれています。
浜降祭の起源
起源は二つあります。
ひとつは、鶴嶺八幡宮の禊祭。
鶴嶺八幡宮は源氏が関東へ進出する際、応徳2年(1085年)に創建した最初の氏社だった。建久2年(1191年)から源氏の戦勝祈願の禊祭が行われたそうです。
もうひとつは、寒川神社の御礼参り。
天保9年(1838年)、寒川神社の神輿が大磯で行われた国府祭(こうのまち)に渡御した帰りに相模川の渡し場で、他の神社と争いごとを起こしてしまい、神輿が川に落ちて行方不明となる。数日後、南湖の網元である鈴木孫七が漁の最中にご神体を発見し、寒川神社に届けたことを契機に、寒川神社の神輿が南湖の浜で御礼参りの禊をするようになった。
その後、明治9年、鶴嶺八幡宮の禊祭と寒川神社のお礼参りが合同で行われることになり、現在の浜降祭となった。
浜降祭の楽しみ方 ~観る~
浜降祭は、観る楽しみもたくさんあります。
午前7時ごろ、西浜海岸にすべての神社の神輿が入場し、その神輿が並ぶ姿は荘厳です。やがて式典が始まりその儀式が終わると、海に禊に入ります。
この西浜海岸で特に見所はたくさんありますのでが、いくつかご紹介します。
- 柳島八幡宮は担ぎ方がうまく、鈴の音色が美しい。
- 南湖五社の乱舞(最後に入場してくる時に揉む)
- 神輿の四方をさらしで巻いている「もじり」の巻き方。神社ごとに鈴の鳴り方に違いが出る。
- 鶴嶺八幡宮四社のお立ち(西久保・矢畑・円蔵を引き連れて出る)
- 「禊」(海への入り方が神社によって違う)
他にもお時間の都合が合えば、深夜~早朝にかけて各神社から神輿が出発する「宮立ち」も一見の価値があります。
浜降祭の楽しみ方 ~ついて歩く~
神輿を担がなくても、「ついて歩く」ことも楽しみ方のひとつです。
ついて歩く時の格好として、「ダボシャツ+ダボズボン」か「鯉口+股引」のふたつのスタイルがあります。神社によって格好様々ではありますが、上下白のダボシャツからが無難です。靴は、エアーが入ったシューズタイプの足袋が長時間歩くのでおすすめです。
衣装はそれぞれ、茅ヶ崎では「田村屋」さんや、平塚の「そめきん」で購入できます。
浜降祭の楽しみ方 ~担ぐ~
担ぎたいなら絶対に練習しないとダメです。想像以上に身体に負担がかかるので、慣れておく必要あります。それに担ぎ方を知らないと周囲に迷惑になるのでお作法として知っておくということもあります。
神社によって、神輿会で練習会を行なっていますので、日程をきいて参加することから始めましょう。
なかなか行きにくい、というのであれば鶴嶺神輿愛好会は毎年6月に毎週土曜日(19時~)に練習会を開いていますのでお越しください。
本番では、神社と海を往復して担ぐわけですが、
行きも帰りも神輿を担ぐパターンと、北の方の遠い神社は行きだけ神輿を担いで、帰りはトラックで神輿を運ぶパターンもあります。鶴嶺では行きも帰りも往復するパターンで、行きは人が多いのですが、帰りは人が少なくなるのでそこで担いでいただけると助かります(笑)
なので、担ぐのであれば体力作りにもかかせないので練習することをおすすめします。
石田さんは『浜降祭を通じて、茅ヶ崎に住む老若男女が地域とつながるきっかけをつくる』こと。浜降祭は担ぐことだけが参加ではなく、ついて歩くだけでも、海で観るだけでも、立派な参加。ひとりひとりがその人なりの浜降祭の楽しみ方、そして「つながり・かかわり」を見つけてもらいたい。と思いを語る石田さん。
そして、このイベントに参加していただいた中から、室田にお住まいの四條邦夫さんが浜降祭デビューを誓いました。まずは神輿を担ぐ練習会へ参加することに・・・!次回では、石田さんのサポートにより四條さんが「はじめての浜降祭」に参加する様子をレポートしていきます!
プロジェクト名 | はじめての浜降祭プロジェクト |
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始動年 | 2018年 |
代表者 | 石田秀樹さん、四條邦夫さん |
連絡先 |
コーワーキングスペースチガラボ TEL: 080-8731-6503 MAIL:info@chiga-lab.com |
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茅ヶ崎生まれ茅ヶ崎育ち。食関連の情報サイトにて飲食店向けのBtoBメディアの編集、マーケティング、販促支援などに従事。飲食店の繁盛の秘訣を探り続けた結果、飲食店は美味しさやトレンドだけでは選ばないポリシーになる。SDGs文脈が好物で、何事もエクスペリエンス主義。持続可能な一次産業・地域づくりに関わるプロジェクトに参画したり、週末ライターしたり、ときどき釣りバカになったり。